井上小百合

【インタビュー】井上小百合「嬉しさと難しさを同時に感じた少年役です」舞台『博士の愛した数式』

小川洋子の小説『博士の愛した数式』。映画化もされた本作が、舞台として上演される。記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」に「ルート」と呼ばれる少年役を演じる井上小百合に本作の魅力について聞いた。

本作は、交通事故による脳の損傷をきっかけに、記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と、彼の新しい家政婦である「私」と、その息子のぎこちないながらも驚きと歓びに満ちた日々を、美しい数式と共に描いた悲しくも温かな奇跡の愛の物語。

井上小百合 インタビュー&撮り下ろしフォト

井上小百合

井上小百合

■嬉しさと難しさを同時に感じた少年役

-本作のお話をいただいたときのこと、そして最初に台本を読まれた時の印象をお聞かせ下さい。

井上小百合(ルート役)
この作品はもちろん知っていて、映画も観ていましたので、お話が来たときは本当に嬉しかったんです。でも、まさか(10歳の少年)ルートくん役だとは思わなくて、「どうする自分?」という感じで、新しい壁がまた出てきたなとも思いました。嬉しさと難しさを同時に感じました。

-ルート役に選ばれた理由はお聞きになっていますか?

井上小百合
聞いてないですけど、頭の形が平らだからかな(*)。(博士役の)串田和美さんからは「すごい(頭の形が)平だね。ルートくん役にピッタリだ!」と仰っていただけて嬉しかったです。
*“ルート”というあだ名は、少年の頭の形が平らであることから、博士が“平方根”になぞらえて付けたもの。

-その嬉しさと難しさについて、具体的に教えてください。

井上小百合
おそらく外見の印象なのか女の子っぽい役だったり、年齢を重ねてからは学校の先生役なども増えてきたので、これからはそういう方向が多くなるのかな、と思っていた時期でした。その矢先の小学生の男の子役だったんです。男の子を演じるのは初めての挑戦ですし、加藤拓也さんはリアリズムの写実的な演出をされると伺っていたので、その中で私が浮いてしまったらどうしようという気持ちになりました。

井上小百合

-本読みなどで、加藤さんからはどういう演出がありましたか?

井上小百合
加藤さんからは「リアリティのあるおとぎ話でシンプルでいい」とお話がありました。いろいろ考えすぎて、役を作り込もうとすると本質からズレてしまう危険性もありますし、
子どもはシンプルに物事を考えていると思うので、純粋無垢で色がついていない状態でそこに居られるようにしようと考えています。

-ご自身とルートくんとを比較して似ている点、違う点、それぞれ教えてください。

井上小百合
ルートくんはとても可愛くて賢くて本当にまっすぐないい子なんですけど、私は本当に捻じ曲がってばかりだったので(笑)
たとえば、お母さんの前でルートくんが泣いてしまうシーンがあるんですが、その時のルートくんの葛藤を加藤さんと相談したときに、「ルートくんは泣きたくないけど涙が出ちゃう。泣くという行動と反対に泣きたくないという気持ちも持っている。ちなみに井上さんは親の前で泣いたことはありますか?」と言われて、「あります。私の場合はとにかく大きな声で泣いて親を困らせてやろうと考えて泣きました。」って答えたんです(笑)
それぐらい私は、ルートくんとは真逆の子どもだったので、どう純粋に可愛らしくいられるかという自分の中に葛藤があります。

-なるほど、そこが難しいと思われている点でもあるということですね。

井上小百合
はい。色を付けないでおこうと考えていること自体がもう色を付けているような気もして難しいですね。

井上小百合

■先輩のお子さんをモデルに

-ルートくんを演じるにあたってモデルとして参考にされているものはありますか?

井上小百合
仲良くさせていただいている先輩のお子さんをモデルにしています。本当に可愛くてまっすぐで。でもちょっと大人と対等に話したいところもあるんです。たとえば一緒にゲームをする時に、「負けないよ!」と、無垢なゆえの感じが、ルートくんと重なるところがあるんです。ルートくんが、博士には数学のことでは絶対に勝てるわけないのに「分かるよ!」と一緒に宿題をやる姿と。

-年の差がある博士とルートくんが仲良くなるのはなぜだと思われてますか?

井上小百合
ルートくんは母子家庭で鍵っ子。そういうルートくんにとって博士は、父親でもないし、親戚のおじさんでもないし、学校の先生でもない。だからこそ友だちみたいになれたんじゃないかなと思っています。博士もルートくんのことを子どもだから自分より下とは見ていなくて、誰に対しても対等に接する人だから、ルートくんも心を開いたんじゃないかなと感じています。
加藤さんの言葉の中で、「博士は数学が好きっていうのがまず前提なんだけど、それを人に教えるとか、上から目線で話してるわけじゃなくて、ただ、その好きな話を伝えたいだけ。自分の愛してやまないものがこれだけ素晴らしいんだって言いたいだけの人なので、ルートくんに対しても、自分が教えてやっているという感じはひとつもなくて、一緒に考えて楽しんでいる。」というのがありました。

-共演者の方々との稽古はどんな雰囲気ですか?

井上小百合
ワークショップのような感覚があります。その雰囲気を作っているのは演出の加藤さんで、役者たちと対等な位置に立って、一緒にこれはどうなんだろうと話をしていく方なんです。
こういうセリフはこういう風に言ってくださいとか、ここの感情はこういう風に持っていってほしいという指示の仕方ではなくて、「僕だったらこういう風に思うんですけど、皆さんならどう思いますか?」という進め方をされます。そのせいか、稽古場がとても柔らかい雰囲気になっていると感じます。

-答えを与えるというよりは一緒に答えを見つけに行くということですね。

井上小百合
そうです。いろんな角度から見た時に、こういう意見もあるよ、と提示してくださる感じで、結果的に答えを出していくのは役者同士なので、その導線作りをしてくださっている感じがあります。
議論を進めていく中で、役者さんから自分はこういう風に感じたと言うと、「それいいですね。その発想はすごくいいと思います。」と加藤さんが取り入れて進めていっています。

井上小百合

■音楽とお芝居の化学反応が不思議な感覚

-原作小説も映画もご覧になった井上さんとして、今回の舞台の魅力をご紹介ください。

井上小百合
映画を観たときはまだ子どもだったので、いいお話だなぁという印象だけだったんですけど、今回お話をいただいて小説を読んだときは、言葉選びがとても素敵だなと思いました。ただ“夕方”とひとことで表現できるところを、“夜まで少しの猶予がある”とか。加藤さんも仰っていたんですが、匂いまでも感じ取れるような描き方がされていて、そこにまず美しさを感じました。同時にとても儚くて残酷な部分もあるとも感じました。
そして改めて今回の台本を読んでみたときに、記憶がどんどんなくなっていってしまうことの残酷さがとてもリアルに伝わってきたんです。
また、小説を読んだ時に感じた“匂い”は、加藤さんがご自身が手がけた台本や演出で大事にしたいと思われているところだとも感じました。
今、音楽をつけながら稽古しているのですが、音楽を聴きながら生まれる感情で、役者のお芝居も変わってくるという化学反応も起きています。それを楽しみながら“匂い”をどのように舞台で表現できるかと取り組んでいます。

-音楽のお話が出ましたが、この舞台では、谷川正憲さんの生演奏ですか?

井上小百合
生演奏です。ちなみに、谷川さん、加藤さんのリクエストに瞬時に応えていらっしゃってすごいんです。たとえばあるシーンでは「パリの雨の日の匂いで弾いてください」とか。
そういう過程で、同じシーンでも違うメロディーにもなるので、それによって役者のお芝居も変わってきたりして、不思議な感覚があります。

井上小百合

■井上小百合が記憶しておきたいもの。忘れてしまいたいもの。

-井上さんが博士と同じ境遇になった場合、これだけは記憶に留めておきたいと思われるものはなんでしょう?

井上小百合
自分のことを大事に思ってくれている人、自分が大事だと思っている人のことは忘れたくないなって思います。
家族、お友だち、お仕事でお世話になっている方、自分の人格形成に携わってくれた方々のことを忘れたら、自分が自分じゃなくなっちゃう気がして、もしそういう記憶がなくなっちゃったら、自分が別人になってしまう気がするんです。
祖母が認知症気味で、もう私のこともわからないときがあって、初対面みたいに「こんにちは」とか言われるんですけど、もう祖母ではなくて別人のように感じられて悲しくなってしまって…。だから私も誰かのことを忘れたくないなと思うんです。

-なるほど、おばあ様と博士と重ねてしまうところがあるということですね。

井上小百合
重ねてしまいます。ルートくんの誕生日でも、博士はそれまでの日々の出来事を忘れているんですけど、誕生日に自分の存在を忘れられるって、まだ子どもでもあるルート君にとってはかなりショックなことだと思うんです。博士は病気であり悪気はないので、ルートくんは自分の中で咀嚼しようとするんですが、その感覚が、私の祖母に対する想いと似ているなという感じはあります。

井上小百合

■数学にお芝居と近しいものを感じた

-井上さんは数学はお好きですか?

井上小百合
博士みたいな数学の先生がいたらもっと好きになっていただろうなって思います(笑)
現代文は好きでしたけどね。役者に繋がるところがあって、この登場人物はどう考えているのだろうかとか、答えのないものを一生懸命考えるのが好きなんです。
博士の言葉の中で「星が綺麗な理由を説明できないように、数字の美しさも説明できないんだ。数字は人間が生まれる前から存在しているんだ。」というのがあります。私は数字は人間が発明したものだと思っていたんですが、「数字は人間が登場するもっと前から存在してるもので、人間は今それを見つけているんだ。」という説明を聞いたら、「なるほど!面白そう!」と思ったんです。なので、博士がいてくれたらもっと数学が面白さに気づけたかもしれません(笑)

-とすると、この作品に触れたことでこれから変わりそうですね。

井上小百合
そうですね。数学とは答えが決まっているものだと思っていましたが、数学の中にはまだ見つかってないものがいっぱいあって、それを見つけていくというのは、役者の作業と同じような気がしました。いろんな人がいて、いろんな答えがあるかもしれないけれど、でもまだ見つかっていないものもたくさんあって、それを見つけていく作業が役者という仕事にはあって、数学と近しいものを感じたからです。

井上小百合

■役者として大きな挫折を経て今がある

-井上さんはアイドル時代から役者活動に力を入れてこられましたが、そのきっかけがありましたら教えてください。

井上小百合
アイドルになる前から役者は目ざしていたんですが、そこに至った理由はいくつかあります。ひとつは幼い頃、身体が弱くて入退院を繰り返していたとき、病室にあったテレビが唯一のエンタメだったことです。画面の向こうにいる人たちってすごいなと思って、お芝居に興味を持つようになりました。その後、中学生の頃「お芝居に興味があるんだったら舞台を観に行った方がいいよ」と言われて観に行ったら、強い衝撃を受けたんです。生身の人間が目の間でいろんな世界を繰り広げるというエンターテイメントがあるんだと思って、虜になってしまい、自分も舞台に立ちたいと思うようになりました。

-その後、初舞台を踏んだときはどういう実感がありましたか?

井上小百合
たくさんのオーディションを受けたんですが、ぜんぜん受からなくて役者として進んで行くのは難しいかなと思っていたときに、乃木坂46のオーディションに受かったんです。このグループは毎年大きな公演を打っているんですが、そこで私は大きな挫折を感じてしまったんです。すべてを賭けて取り組んでようやく立てた舞台だから、自分でもすごく意気込んでたんですが、舞台に立つには自分が思っていた以上のもっとたくさんの努力がないとダメなんだと気付かされたんです。人を楽しませるお仕事というのは、その裏側は実はすごく辛いことの積み重ねなんだと現実をつきつけられてしまって…。小さい頃に素敵だって表から観ていた舞台と、裏側とのギャップにショックを受けてしまったんです。私はもしかしかしたら、あれだけ憧れていた舞台には向いていないのかもしれないと落ち込みました。でも、その後いくつかの舞台に出演していくなかで、素敵な方たちと出会ったり、多くの貴重な経験をしていって、「あぁ、やっぱり私はお芝居が好きだ」と改めて思えるようになりました。その挫折を感じた時期があったからこそ、今、この仕事を続けられているのだと思います。

井上小百合

■本庄市は子育てにもお薦めです!

-本庄市広報観光大使、初代・はにぽんアンバサダーとして、是非本庄市の魅力をPRお願いします。

井上小百合
本庄市は新幹線が通っているのが大きな利点です。東京からのアクセスがとてもいいんです。自然がすごく豊かなんですが、駅前は発展していてとても住みやすいですし、子育てにもお薦めな場所です。
今回私が演じるルートくんは野球が大好きなんですけど、本庄市には野球が強い本庄第一高等学校があって甲子園大会に出場することもあるんです。でも、埼玉代表なのに群馬代表と勘違いされることがあるという(笑)高崎市の隣で、ほぼ群馬なんですが、埼玉の顔をしている本庄市です(笑)

井上小百合

井上小百合(いのうえ さゆり)プロフィール
1994年〈平成6年〉12月14日生まれ(28歳)
埼玉県本庄市出身。身長156cm。血液型はB型。愛称は、さゆにゃん。
2011年、「乃木坂46」第一期生として活動を開始。2020年4月にグループを卒業後、俳優として数多くの舞台、映像作品に出演。
最近の主な出演作は、舞台では、東宝『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』、シス・カンパニー『奇蹟 miracle one-way ticket』『ショウ・マスト・ゴー・オン』(作・演出:三谷幸喜)など。映画『仕掛人・藤枝梅安』が公開中。
本庄市広報観光大使、初代・はにぽんアンバサダー(本庄市にゆかりある著名人で本庄市をPR)
Twitter:https://twitter.com/syr_1214
YouTube:https://www.youtube.com/@sayuriinoue7195

■撮り下ろしフォトギャラリー

[スタイリスト:中川原有/ヘアメイク:茂木美緒/写真:三平准太郎/インタビュー:安田寧子]

舞台『博士の愛した数式』

<Introduction>
串田和美が、記憶が80分しかもたない数学博士に挑戦。
脚本・演出は新進気鋭の演出家として注目を集める加藤拓也。
2023年2月、長野県の松本と東京で、舞台『博士の愛した数式』の上演が決定した。同作は、欠落や喪失をテーマとした作品を描き続けている芥川賞作家で、紫綬褒章も受章している小川洋子が03年に発表し、翌04年第55回読売文学賞を受賞、第1回本屋大賞を受賞したミリオンセラー作品だ。06年には映画化もされている。
交通事故による脳の損傷をきっかけに、記憶が80分しか持続しなくなってしまった元数学者「博士」と、彼の新しい家政婦である「私」と、その息子のぎこちないながらも驚きと歓びに満ちた日々を、美しい数式と共に描いた悲しくも温かな奇跡の愛の物語だ。

<Story>
[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた
──。
主人公である「私」は、ある初老の男性「博士」の元へ家政婦として派遣される。「博士」とは、交通事故の後遺症で記憶が80分しかもたない元大学教師の数学博士。彼の「私」への第一声は、「君の靴のサイズはいくつかね?」だった。数字で物を語る博士に、初めは戸惑う「私」だが、やがて安らぎを見出していく。
ある日、「私」に10歳の息子がいることを知った「博士」は、一人で留守番している息子を、学校が終わったら「博士」の家に向かわせるようにと「私」に告げる。「博士」は、息子の頭がルート記号のように平らだったことから、息子を「ルート」と名付けた。
こうして、「博士」と「私」、そして、「ルート」との、やさしく、穏やかな生活が始まった。

原作:小川洋子『博士の愛した数式』(新潮文庫刊) 脚本・演出:加藤拓也
音楽・演奏:谷川正憲(UNCHAIN)
出演:串田和美 安藤聖 井上小百合 近藤隼 草光純太 増子倭文江

主催:一般財団法人松本市芸術文化振興財団
後援:松本市、松本市教育委員会
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
共催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京芸術劇場(東京公演のみ)
企画制作:まつもと市民芸術館
公式サイト:https://www.mpac.jp/event/38370/

【松本】
日程:2023年2月11日(土)~16日(木) 場所:まつもと市民芸術館小ホール
【東京】
日程:2023年2月19日(日)~26日(日) 場所:東京芸術劇場シアターウエスト

博士の愛した数式

 

関連記事一覧

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA