渡辺えり

【インタビュー】渡辺えり「演劇を目指した頃の原点を思い出した」

2月新橋演舞場・南座公演『喜劇 お染与太郎珍道中』の出演が控えている渡辺えり。コロナ禍により昨年春の新橋演舞場公演がゲネプロ直後に中止になるという経験をしたあと、演劇がやりたくて山形から上京してきた時の役者としての原点を思い出した1年だったという。その思いについて話しを伺った。

渡辺えりインタビュー

■演劇を目指した頃の原点を思い出した自粛時期

-このコロナ禍において、エンタメ業界に身を置かれる多くの方々が“エンタメとは不要不急”なのか?ということを改めて考えたと聞きます。えりさんも演劇人として昨年からの1年、特にコロナ禍前と後で、考えを新たにされたこと、あるいは改めて思い直したことがあれば教えて下さい。

渡辺えり
今まで普通にやれてきたものがやれなくなるという現実。その現実に直面し、どう乗り越えていくのか・・・と考えたとき、そもそも自分が演劇をやりたい、演劇の勉強をしようと思って東京に出てきた頃と同じだ、と思ったんです。山形から上京するとき、「人前でお芝居をしてお金もらうなんてのは夢にすぎない。諦めろ」と家族や友人たち皆に言われていました。でも、それを振り切ってでも芝居がやりたくて上京したのです。でも、そうやって出てきたものの、まだ自分には実績も活動の場もない。当然、演劇をやりたくても思うようにはやれませんでした。あの頃の自分の行き詰った状況と、コロナ禍でやりたくても芝居ができない状況がダブってきてしまったんですね。
演劇は見てくださるお客様がいて初めて成立するものです。そして、なぜ、演劇をやり続けたいかと言うと、ただただ、お客様に面白い舞台を見せたい、お客様に喜んでいただきたいという思いがあるからなんです。それが、コロナで、自分がやってきたことや自分の思いをすべて否定されたような、無力感を味わいました。
でも、そうやって若い頃の自分を思い出すにつれて、いつの間にか自分の芝居への情熱の原点を忘れてしまっていたことに気づかされました。どんなに大変な道のりでも、演劇をやり続けるんだという思いがあったから一生懸命やってこれたし、自分がどうしてこの仕事をやっているのかということを、改めて突き付けられましたね。

渡辺えり

渡辺えり

■今年は映画監督をやってみたい

-企画されていた「女々しき力」プロジェクトも延期になりましたしね。

渡辺えり
「女々しき力」プロジェクトは、如月小春さん(2000年没)、岸田理生さん(2003年没)という女性劇作家と20年前に、立ち上げようとしたのがきっかけです。当時は、テリトリーがぜんぜん違ってお互いが競い合っていた小劇場時代。でも、ただでさえ男性中心の演劇界の中、女性の劇作家が恵まれない状況で、敵対していられないと、じゃぁ、なにか一緒にやろうよってなったんです。
で、1回打ち合わせをやって、2回目の打ち合わせをしようと思ったその日に如月さんが倒れられて、そのまま亡くなりました。そしてその3年後に岸田理生さんも亡くなって、結局生きているのは私一人だけになってしまいました。だからこそ絶対にやらなくちゃと思って、女性劇作家による女性の人生を描いた企画を立てたのが「女々しき力」プロジェクトです。コロナで延期にはなってしまいましたが、なんとか、その「序章」と銘打った企画を立ち上げられたのが救いでした。

-コロナ禍の先行きはまだ見えない状況ではありますが、2021年はどんな1年にされたいと思われてますか?

渡辺えり
今は、配信という手段もありますが、物を創り続けていかないと、生であろうが配信であろうが何もできないわけです。
私たちが思考することをやめてしまったら、もう引きこもるしかないというか(笑)、劇作家というのは、元々引きこもりみたいなもので(笑)、何かが無いと外に出られないわけです。人に見せたいものがあるから人前に出るわけで、そうじゃなかったら、私なんかは、ずっと家の中で夢想しているタイプですね。
とにかく、物を創り続けていくということが2021年の私のテーマです。元々若い頃の自分には映画監督をやりたいという夢があったので、自分の頭がクリアなうちに、今年はどうしても映画監督をやってみたいですね。これまでは、『バカヤロー! 私、怒ってます』の中の短編1本(第一話)しか撮っていないんです。
あと、舞台も自分の作品を、新作、旧作とも今年、上演したいと思っています。

渡辺えり

■過去の名作に「女々しき力」の精神で向き合いたい

-2月新橋演舞場の「喜劇 お染与太郎珍道中」についての抱負もお聞かせください。

渡辺えり
「喜劇 お染与太郎珍道中」は、1979年に劇作家の小野田勇さんが三木のり平さんとタッグを組んで書かれたのが最初です。以前、森光子さんにお聞きしたのですが、小野田勇さんは当時超売れっ子でいらして、本番直前になっても台本が間に合ってなくて、役者がやりながら小野田さんが書き、そしてそれを役者が暗記してやっていく、というやり方だったそうです。そういう勢いがある方が書かれた戯曲を今できるのは光栄ですし、何よりも、三木のり平さんという、昔から尊敬している大先輩が、お客様を笑わせるために命がけで作った芝居の再演に出られるっていうのはものすごい緊張感があります。それを超えられるような笑いが渦巻く舞台ができるんだろうかと思うと、今は少し怖ささえ感じているほどです。
でも、この戯曲は、1979年に書かれた脚本というのもあって、まだまだ男の人の視点が中心ですね。女性は男の人にいじられるというような役どころになっているのは、正直に言って時代を感じてしまいます。それを新しく自立した女性としてキチっと人を笑わせるというところを、自分が「芸」として出していけるのか、というところが私の課題であり、楽しみでもあり、不安でもありますね。

-自立した女性という点は「女々しき力」の精神とつながるということですか?

渡辺えり
「喜劇 お染与太郎珍道中」が、お話として「女々しき力」と通じるというわけではないんですが、私自身が「女々しき力」プロジェクトの精神を持って向き合っていきたい、ということです。
原作の世界はどうしても男性社会中心の話だと思うんです。それを、私含めて、広岡由里子さん、あめくみちこさんという現代の女性の役者たちが力を合わせて、女性の視点からどう料理し、お客様に大いに笑っていただけるのか、ということが大きな挑戦だと思っています。

渡辺えり

[アクセサリー:アビステ/スタイリスト:矢野恵美子/ヘアメイク:藤原羊二/インタビュー・写真:桜小路順]

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『喜劇 お染与太郎珍道中』

新橋演舞場:2021年2月1日(月)初日~17日(水)千穐楽
南座:2021年2月21日(日)初日~ 27日(土)千穐楽

<紹介>
昭和54年(1979)3月明治座にて『与太郎めおと旅』という題名で初演されました。作家の小野田勇が稀代の喜劇俳優・三木のり平とタッグを組み、落語の噺を中心に、さらに歌舞伎のエピソードも加えてドタバタ珍道中に仕上げました。
主演は渡辺えりと八嶋智人。2人はさまざまな舞台や映像で、共演しておりますが、この度、喜劇初共演で大店の箱入り娘お染と、ドジでおっちょこちょいな手代の与太郎を演じます。
その他の出演に、太川陽介、宇梶剛士、石井愃一、深沢敦、春海四方、石橋直也、三津谷亮、有薗芳記、一色采子、広岡由里子、あめくみちこ、そして西岡德馬と曲者ぞろいの豪華実力派キャストが集結しました!

<ものがたり>
江戸時代、指折りの大商人、米間屋「江戸屋」にお染(渡辺えり)という箱入り娘がいました。久兵衛夫婦にとっては一粒種の娘で、わがまま放題に育ち過ぎてのグラマー美女に。
蝶よ花よと、金にあかせての花嫁修業、お茶にお花、お琴に二味線、踊りに料理、更に手習いにと大忙し。ついでの事に恋の手習いにも精を出して、お出入りの大名・赤井御門守の家中での美男の若侍・島田重二郎と良い仲でした。

ところが、二人の仲を裂く悲しい出来事が起こります。重三郎が京都藩邸へ転勤という事になったので。
追い討ちをかけて、赤井家からお染を妾に差し出せとの無理難題を突き付けられました。

お染は、一つには赤井家から逃れるため、また一つには重三郎を追って、京へ旅立つ事になりました。
過保護で親馬鹿の入兵衛夫婦は、お染に付き人まで付けて京都に送り出す事に。その付き人に選ばれたのが手代の与太郎(八鳩智人)、ドジで間抜けでおっちよこちょい、先輩の番頭・同僚の手代・ずっと年下の丁稚小僧まで日頃馬鹿にされている頼りない人物ながら、すこぶるつきのお人好し、無類の忠義者で、年頃の娘と一緒旅をさせても、間違いも起こらないというのが与太郎当選の理由ですので、男としてはだらしがない話です。
もっとも久兵衛もその点は抜かりなく、出入りの鳶の者、べらばう半次をこっそり見張り役で跡を追わせる事にしました。

かくて、お染・与太郎は表向きは夫婦という態を取り、五十三次の珍道中が始まるのですが、世間知らずの娘と頼りない手代の二人旅、騒ぎが起こらぬ訳もなく一――。

喜劇 お染与太郎珍道中

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