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峠 最後のサムライ

“幕末の風雲児”河井継之助の“熱さ”伝わる場面写真解禁。林先生による特別動画も。映画『峠 最後のサムライ』

歴史小説界の巨星・司馬遼太郎が、幕末の風雲児と呼ばれた越後長岡藩家老・河井継之助を描いた、国民的ベストセラー『峠』が初の映像化作品『峠 最後のサムライ』の場面写真、特別動画が解禁となった。

■“知られざる英雄“河井継之助の不退転の覚悟と熱き心で正義を貫く姿を捉えた場面写真解禁

この度解禁となったのは、役所広司演じる、河井継之助の強い覚悟と熱い眼差しが印象的な場面写真の数々。
継之助が諸藩に先駆けて、いち早く取り入れた当時最新鋭の兵器・ガトリング砲で敵軍に狙いを定める瞬間や、臣下の松蔵(永山絢斗)を従えて、戦火から逃げ惑う町民の間を往く馬上の姿を捉えたカットからは、本作の激動の物語展開を十分に窺い知ることができよう。
そのほか、長きに渡り数々の時代劇で卓越した演技を披露してきた役所らしい、凛とした佇まいと寸分の隙もない和装で藩主・牧野に接見する正座姿、開戦を迫る土佐藩・軍監、岩村精一郎(吉岡秀隆)に対し、故郷・長岡を守るべく幾度も和平交渉に臨む継之助の「背中」を捉えたショットや、「峠」の頂から故郷・長岡を遠く見つめる静謐さが際立つ写真からは、苛烈な運命を背負いながらも、リーダーとして決して未来を諦めることのなかった継之助の強い想いが見て取れる。
その一方で、柔和 な表情を浮かべながら妻のおすが(松たか子)に寄り添う微笑ましい一幕も切り取られ、敵軍から策士として恐れられた完全無欠のサムライとしてだけではない、家庭人としての一面も感じることが出来る。

■林修先生が河井継之助の魅力と功績を徹底解説

林修先生の“あの名言”と奇しくも同じ意味を持つ、継之助の信条のひとつとは!?
幕末の時代に国を想い、戦のない世を願い未来を見据え、世界的視野とリーダーシップで坂本龍馬と並び称され、敵対していた西郷隆盛や勝海舟さえもその死を惜しんだと言われる河井継之助。
そんな彼に惚れこみ大ファンだと公言する林修先生による“幕末の風雲児”河井継之助の特別解説動画も公開された。

【林修先生が徹底解説!】知られざる最後のサムライ 河井継之助とは!? 特別解説動画本編

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【特別授業①】今の世にも通じるリーダー論を、林先生が徹底解説!

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【特別授業②】林修先生が尊敬する、幕末の知られざるカリスマって誰!?

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【特別授業③】最後のサムライ 河井継之助とは!?

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映画『峠 最後のサムライ』

【STORY】
敵軍50,000人に、たった690人で挑んだ“最後のサムライ”
慶応3年(1867年)、大政奉還。260年余りに及んだ徳川幕府は終焉を迎え、諸藩は東軍と西軍に二分していく。
慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発した。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指す。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのだ。
だが、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。
妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった……。

出演:役所広司
松たか子 香川京子 田中泯 永山絢斗 / 芳根京子 坂東龍汰 榎木孝明 渡辺大 AKIRA / 東出昌大 佐々木蔵之介 井川比佐志 山本學 吉岡秀隆 / 仲代達矢
監督・脚本:小泉堯史
音楽:加古隆
原作:司馬遼太郎「峠」(新潮文庫刊)
配給:松竹、アスミック・エース
🄫2020『峠 最後のサムライ』製作委員会
公式HP:touge-movie.com

60秒予告編

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6月17日(金)全国ロードショー

峠 最後のサムライ

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