田中泯「言葉が生まれる以前の人間は同じ感覚。そこに“踊り”が生まれた」
2022年1月24日、日本外国特派員協会(FCCJ)にて、映画『名付けようのない踊り』の会見が行われ、ダンサー・田中泯(76)、犬童一心監督(61)が登壇。外国人記者とのやりとりの中、世界的ダンサー・田中泯の“踊り”についての深い信念が紐解かれた。
本作は、犬童一心監督が、田中泯に帯同する形で、ポルトガル、パリ、東京、福島、広島、愛媛などを巡りながら、独自の存在であり続ける田中泯のダンスを撮影した。同じ踊りはなく、どのジャンルにも属さない田中泯のダンスを、息がかかるほど間近に感じながら、見るものの五感を研ぎ澄ます――そんな新たな映像体験を味わえる作品となっている。
会見レポート
■あらゆる瞬間に責任を持って生きて(踊って)いる
-本作制作のきっかけを教えてください。
田中泯
プラハにいる時に、ポルトガルのアートフェスのディレクターに「ポルトガルで踊ってみませんか」と声をかけていただいて、僕はいろんな国で踊ってきましたが、ポルトガルはまだでしたので是非にとお答えしたことがきっかけです。
それで、以前から仲が良かった犬童監督にポルトガルに僕の踊りを見に来ない?とお話しました。
犬童一心監督
出発が近づいてくると、せっかくだから泯さんの踊りを撮らないともったいないと思って、僕の映画で撮ってもらってるカメラマン2人と、そして妻と一緒に行って撮影することにしました。
そこで8つぐらいの踊りを撮って、東京に戻って15分ぐらいの映像に編集したら素晴らしいダンスの短編フィルムになっていたので、これは2時間の映画にできるんじゃないかなと思ったのが始まりです。
-対等の立場にある2人がコラボされた。通常の映画とは違って、即興で踊られる田中さんをいわばドキュメンタリーのようにカメラで捉える作業は、普段の映画を作る作業とは違いますか?
田中泯
僕は、当初ダンスを映像化することに非常に疑問を持っていました。僕の踊りはその場での1回限りの踊りとして成立するように踊っているので、その場で見た踊りをそのまま映像で再生することは(その場の空気は伝わらないので)やめてくださいとお願いしました。
「でも、僕はあらゆる瞬間に責任を持って生きて(踊って)いますので、映像ではどんなに細かく刻んでも(=編集しても)構いません。」とも監督に伝えました。監督が編集する上で、私の踊りをフィルムにおける“踊り”として作り直してくださいとお願いしたのです。
それは、ポルトガルで撮影した15分の映像を見て、「いける!面白い踊りだ!」と僕自身が思ったからです。その日にやりたかったことが映像に蘇っていたからです。
犬童一心監督
僕はどういう映画にするとは決めないで、この2年間撮ってました。30の踊りすべてを撮り終わってからどういう映画にするかを考えたのです。
そうしてシナリオを書いて、それに合わせて30の踊りを組み直したんです。僕がイメージしたのは、泯さんの踊りを実際に観に行った時の時間間隔、それは朝から夜まで泯さんの踊りを見たそのままの時間感覚を編集で作るようにしました。
ひとつ大事なのは、撮影中は泯さんににインタビューしなかったことです。泯さんに「この踊りはどういう踊りですか?」ということは一切聞かずにただ撮るというのをずっとやってました。
それを最終的に(編集で)僕が組み直したということです。
田中泯
僕自身は踊りを踊る人間として踊り続け、そして、カメラの前に居るということを犬童さんとの2年間、ずっと務めてきました。
ただし、2度同じことはしない。すべて1回だけの時間で、要するにカメラの前で僕は生きているということ。それがこの映画の特徴です。
よういスタートもなければ、NGもない。
■田中泯と同じパワーで対峙できるのは山村浩二
-私にとってほんとに素晴らしい映画です。心がすごく踊って感動がなかなか覚めません。さて、この作品のナレーションの内容は、田中さんはどういうタイミングで書き下ろしたのかそのプロセスを教えてください。
犬童一心監督
泯さんは、新聞に連載しているし、本も執筆していて、文章を丁寧に書く人。僕は、泯さんが書いたものを集めて、項目別に大事なものをピックアップして脚本を構成して、それをナレーションにしました。
泯さんの踊りは即興なので、ある種のパッションだけで生まれていると捉える人がいますが、泯さんは普段から言葉で考えている方です。ダンスも言語化していて考えている方です。なので、泯さんが実際に書かれた言葉で脚本を書くことを一生懸命考えました。
-言語化しにくい要素をアニメにすることについては素晴らしい方の山村浩二さんとのコラボのきっかけと作業のプロセスは?
犬童一心監督
彼は、大学の後輩で30年以上の友人です。本作では「私の子ども」という重要なキーワードを私の中で見つけて、それをアニメにすると面白いというアイディアが生まれました。
そして、山村さんは1枚1枚一人でアニメを描いている。泯さんも1人で農業している。この2人は僕の中で似ていて、泯さんと同じパワーでぶつかれるのが山村さんだと思いました。
泯さんの踊りってどういうものだろう?って興味を持ってもらえることを狙って僕はこの映画を作りましたので、映画を観た人が泯さんにそのことを聞いてほしいです。それを横で聞いていたいです。僕が泯さんにインタビューしなかったのはそのためでもあるので(笑)
■日本人だから日本的なのではなく、世界中の誰の中にもある共通のもの
-田中さんのダンスは空間の使い方がとても日本的に感じます。例えば写真家・杉本博司さんの作品や、書道家の作品も空間を作品の一部として捉えているのが日本的だなと思います。田中さんご自身のダンスの様式を教えてください。
田中泯
日本の10世紀から17世紀くらいまでに出来上がった日本的なもの、文化はいまだに伝統として残っています。ただ、明治という時代に大急ぎで日本の文化を西洋の文化と懸命になって混ぜていきました。その時間軸は現代も続いているわけです。
そういう中で、日本だけという空間性や思考というものは、僕はもはや無いと思っています。
ひょっとしたら、人間が言語を発見する前の身体性や空間性、そういうものに戻っていくのではという気がしています。
多くの文化が言葉と共に地球の大きさだけあるわけですが、人間の言葉以前の“沈黙”の文化は間違いなく世界共通です。私たちは一つの“種”です。その身体が生んだ文化のひとつとして踊りがあるんです。そういうふうに考えることはできないでしょうか?
日本人だから日本的というものではなく、ひょっとしたら気づいてないだけかもしれない世界中の誰の中にもある空間性だと。そういうふうに僕は希望を持っています。
■世界と繋がるための感覚で身体の中を満たしたい
-ラストシーンでダンスを終えた後に、「海に頭が沈んでいくような感覚を得て幸せだ」というセリフがありましたが、それは“無の境地”という幸福感なのでしょうか?
田中泯
僕は“無”を信じていないというか、そういう境地になりたいと思っていません。死ぬ直前まで大騒ぎな奴でいたいし、この世界と繋がるための感覚をフルで身体の中に満たして生き続けたいと思っています。無の境地どころか、破裂するくらいに感覚で僕の中を満たして、そして、世界、それは人間だけでなく(地球上の)あらゆるものと触れ合って生き続けたいと思っています。それが僕の踊りです。
「海に頭が沈んでいくような感覚」とは、そのことを言っていて、ただ、私の感覚は私の身体から出ていけないんです。その感覚が粒子化したその重さで沈んでいくという表現ですが、その時は言葉を適切に使える精神状態じゃないので、その言葉だけを捉えてどうだと分析されてもそれは違うことになります(笑)
■“舞踏”と“踊り”は違う。
-2時間という時間を忘れて見入った素晴らしい作品でした。劇中、石原淋さんに「カラスのようになって」と田中さんが指示するシーンがありますが、田中さん自身も、踊られる時はそういったイメージをするという発想はありますか?
田中泯
僕は、土方巽の踊りを若い時に見て、すごいショックを受けました。多くの人が彼のところに舞踏を学びに行っていましたが、僕は自分でひとりで踊りを探そうと決めました。
それから長い時を経て、彼が死ぬ3年前に、土方が僕の踊りを見に来てくれたんです。その日から一緒にお酒を飲んで語り合うようになった。
僕は直接彼から踊りは習っていませんが、彼の話はすべて踊りに繋がっていくので、彼から踊りに関わる話をたくさん聞かせてもらうという幸せな関係となりました。
言葉から身体の感覚を奮い立たせ、生かして小さな動きにしていく。その小さな動きを少しずつ大きく育てていくというのが、土方が僕に教えてくれた踊りの稽古です。
土方は動いて稽古をつけるということは絶対にしません。踊る人間が自分の身体でキャッチできる感覚を使うのが一番正しいと思っています。
ですから、同じように動くからと言って、そこに真実は残らないだろうというのが、土方の考え方です。
それを映画では、僕は石原淋さんに稽古としてやってますし、彼女が身体で感じるものを踊るわけです。
田中泯
さて、ちょうどいい機会なのでお話しますが、僕は土方巽から強く影響を受けた人間ですが、舞踏をやっているわけでは決してありません。舞踏はもうとっくに終わったと思っています。
日本では、“舞踏”という言葉を“踊り”と混同して使っている人がすごく多いんですが、舞踏というのは間違いなく“精神のアクティビティ”だったんです。踊り方ではまったくないんです。そのことを社会は誤解してしまっているんです。舞踏というジャンルがあるかのようになってしまってますが、これはデタラメです。ウソです。ありません。
■始まりを半分失った踊り
-数年間、田中さんと行動を共にされた中で、発見や学べたことはありましたか?
犬童一心監督
泯さんが先ほども言ったように、言葉が生まれる前は、人間は同じ感覚で生きていて、そこにダンスが生まれたんじゃないかという考え方。
僕は、言葉が生まれる前の状態は生まれてから一度も考えたことはなかったんです。でもこの映画をやっているとそれを考えざるを得ないし、それを考えていると、言葉が生まれる前の感覚が少しだけ自分の中に芽生えたかもしれません。今、国や人種のことでいろいろありますが、言葉が生まれる前はみんな同じ感覚でいただろうと、なんとなく考えられるようになったかもしれないということです。
もうひとつは、僕は泯さんみたいにはできないということはよくわかります。ここまでひとりの時間を大事にして、日々を積み上げて表現に結びつけるということは自分にはできないから、逆に僕は僕のやり方でやるしかないなと思います。
泯さん、ありがとうございました(笑)
田中泯
(笑)
犬童監督はこの踊りを通して、踊りの映画を作りたいとおっしゃってくれました。でも今や僕の踊りの仲間なんですね。
そして、言葉以前のお話で少しだけ補足します。
僕が踊りを習い始めた頃、ほとんどの先生は「踊りは言葉で言えないことをやっている」んだと言うんです。「うん、そうだろうな」と思いました。
でも、そうすると「この踊りが必要としている技術はなんなんだろう?」とも思う。世界の踊りは、技術を繋げることで“踊り”と言われています。でも、「それって半分じゃないの?」と思う。身体が筋肉を使って面白い動きをしたり、音楽に合わせたり、いろんなことをやります。でも、「本当の踊りの始まりってそうだったのかな?」始まりを半分失った踊りは、木で例えれば、枝だけの状態。あるいは葉っぱだけの状態だと思うんです。
僕は、世界中で協力して、踊りにもう一度根っこを付けたいと思っています。そのためには、どんな人とも僕は踊りで繋がる。この映画が良い例なんです。この映画を元にしていくらでも踊りのディスカッションができるはずです。そのようなことで死ぬまでの時間を使いたいと思います。
(会場拍手)
[写真・記事:桜小路順]
映画『名付けようのない踊り』
INTRODUCTION
なぜ今、彼に惹かれるのか。
田中泯が、76年の生涯をかけ探し続ける踊りとは…
見るものの五感を研ぎ澄ます、120分の旅にでる
1978年にパリデビューを果たし、世界中のアーティストと数々のコラボレーションを実現し、そのダンス歴は現在までに3000回を超える田中泯。映画『たそがれ清兵衛』(02)から始まった映像作品への出演も、ハリウッドからアジアまで広がっている。
40歳の時、田中泯は“畑仕事によって自らの身体を作り、その身体で踊る”ことを決めた。そして74歳、ポルトガルはサンタクルスの街角で踊り、「幸せだ」と語る姿は、どんな時代にあっても好きな事を極め、心のままに生きる素晴らしさを気付かせてくれる。そんな独自の存在であり続ける田中泯のダンスを、『メゾン・ド・ヒミコ』への出演をきっかけに親交を重ねてきた犬童一心監督が、ポルトガル、パリ、山梨、福島などを巡りながら撮影。また、『頭山』でアカデミー賞短編アニメーション部門に日本人で初めてノミネートされた山村浩二によるアニメーションによって、田中泯のこども時代が情感豊かに点描され、ぶれない生き方が紐解かれていく―。
どのジャンルにも属さない田中泯の〈場踊り〉を、息がかかるほど間近に感じながら、次第に多幸感に包まれる―― そんな一本の稀有な映画を、ぜひスクリーンで体験してほしい。
田中泯
石原淋 / 中村達也 大友良英 ライコー・フェリックス / 松岡正剛
脚本・監督:犬童一心
プロデューサー:江川智 犬童みのり
アニメーション:山村浩二
音楽:上野耕路
配給・宣伝:ハピネットファントム・スタジオ
制作プロダクション:スカイドラム
製作:「名付けようのない踊り」製作委員会
©2021「名付けようのない踊り」製作委員会
公式サイト:unnameable-dance/
公式Twitter:@unnameabledance
本予告
2022年1月28日(金)全国公開
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