【インタビュー】荒木監督「人間が“人数”に変わる時、私は怖さを感じる」
9月4日公開、中村倫也主演映画『人数の町』より、メガホンをとった荒木伸二監督に、本作のタイトルに込めた意味と物語着想のきっかけについてお話しを伺った。
本作は、河瀨直美監督を審査員長に迎え、2017年に発表された第1回木下グループ新人監督賞で、241本の中から準グランプリに選ばれた作品。
主演・中村倫也に加え、石橋静河、立花恵理、山中聡らが脇を固める。監督・脚本は、松本人志出演の「バイトするならタウンワーク」のCMやMVなどを多数手掛ける荒木伸二が初の長編映画に挑戦する。
本作は、衣食住が保証され、セックスで快楽を貪る毎日を送ることができ、出入りも自由だが、決して離れることはできない、という謎の“町”を舞台に、借金で首の回らなくなった蒼山(中村)が、その“町”の住人となり、そこで出会う人々との交流を経て“町”の謎に迫っていく新感覚のディストピア・ミステリーとなっている。
荒木伸二監督インタビュー
■『人数の町』の着想のきっかけ
- 第1回木下グループ新人監督賞準グランプリ作品となった本作の着想のきっかけを、タイトルにも含まれている「人数」という言葉に抱かれている監督の思いを含めて教えて下さい。
荒木伸二監督
人間が「人数」に変わる時、私は怖さを感じるんです。なんでかなと考えた時に、人間が名前が付いた人だったらぜんぜん怖くないんだけど、人が名前を奪われてどんどん塊になっていくと怖くて怖くて仕方がないっていう感じが小さい頃からあります。なのでたとえば多数決は大っきらい。自分の横に座っている人は怖くないけど、“正”の字のように人が人の頭数を数える行為は怖い。
怖いものがあれば映画が撮れる、そうスピルバーグが言ってるんですが、じゃあ、自分が怖いものは何だろうと。人数かもなと。「町から人がどんどん消えている。どこかに連れて人数として利用されている」という着想をノートに記しておいたんです。普段から思いついたアイディアはノートに記して、定期的に見返しているんですが、『人数の町』はそこに記してあったアイディアのひとつなんです。
私の中には、作ってみたいいろんなアイディアがあるんですけども、河瀨直美さんが審査委員長の木下グループ新人監督賞なら、思いっきり振り切って、自分が一番やりたいもの、そして世界に通用するものを出していいのかなって勝手に思って、この作品で応募しました。
- 荒木監督の中では、“人数”という言葉に何かしら“塊”としての怖さを感じられているということでしょうか。
荒木伸二監督
え、みんな、人が人数になるとちょっと怖いんじゃないの?例えば出席番号なんかも勘弁してほしくて、さっきまで友だちだった人が5番になっているのがほんとに薄気味悪くて。
それで言うと、『サウルの息子』(2015/ハンガリー)という、ホロコーストを描いた映画があって、人が“人数”として扱われる、すなわちガス室でいかに効率良く大勢を殺すかということが考えられている。
現代では、SNSでのいいねの数だったり、人間がどんどん“人数”になっちゃってることが怖いなぁって。なんか、あの政権が怖いな、あの運動が怖いな、あの差別が怖いなって思う以上に、それらに紐づいた人間が「人数」になっている。何、この塊?っていう怖さなんです。で、更に現代の日本でいうとその「塊」に属している人たちは、手錠をはめられているわけでもなく、なんかモヤっと生きてるんだよな、この薄気味悪い感じ、至るところにあるよなってのが、本作の発想の重要なポイントです。
- “個”や“顔”が見えない、集団としての“塊”の怖さということですね。
荒木伸二監督
そうですね。本作の登場人物も、デュードとお互い呼び合う町にやってくる人たちは、蒼山(中村倫也)、紅子(石橋静河)、灰谷、モモちゃん、緑と、みんな色で名前を表現しています。それは十人十色っていう言葉があるように、人は個性を持っていてそれぞれの“色”を出すという考え方からです。でも、彼らが町に来ると誰も“色”(名前)で呼ばれない。全員が“色”が無くなって“人数”に変わった時というのが、少なくとも僕は怖いなって思っています。
■“人数の町”とは?
- ネタバレを注意しながらの質問となりますが、“人数の町”を運営している者の正体は、荒木監督の中で一体どういうイメージを抱かれていましたか?
荒木伸二監督
うーん、確信ですね(笑)。いや、そうでもないかな(笑)。見た人の感じ方に任せましょう。ただ一つ言えることは、僕は現実社会でも、映画やドラマを見たり、小説を読んだりするときでも、「黒幕」みたいなものにそんなに興味はないですね。実際には、いるんでしょうけどね。ものすごい悪い奴が(笑)
■いつか死ぬんだったら映画を作らなきゃ
- 荒木監督は、この賞に応募される以前から、テレビ朝日21世紀シナリオ大賞優秀賞、伊参映画祭シナリオ大賞スタッフ賞など、いくつもシナリオ関連で受賞されていますが、映画監督をずっと目指されていたということでしょうか?
荒木伸二監督
映画を撮ることほど人生で大事なことはないとは思っていますが、職業欄に“映画監督”と書くことが一番だとは思っていなくて、自分が撮りたいものが撮れるのが何より大事かなと思っています。
大学を出た時点は、まだ力も無いし、自分が考えるものってお金にはならなそうだし、家に金がなる木があるわけでもないし、真面目に働こうかと思って働いていました。
それでも、3.11くらいから自分の中で危機感が募り始めて、何故いつか死ぬのに俺は映画を作ってないんだろうって(笑)。ずっと苦手としていたシナリオの勉強を始めたんです。コンクールに応募を始めて。それまではシナリオなんて即興でいいじゃん、せいぜいメモでいいじゃんって思ってたんですけどね。
いくつか応募していく中で、木下グループ新人監督賞の公募があって、受賞したら映画が撮れるってことにすごく食いついて(笑)、それで一番やりたいもので応募しました。
- そして、アラフィフで長編映画初監督とプロフィール資料に書かれていますが、これまでやられてきたMVやCMと比べて、映画監督として苦労された点などがあれば教えて下さい。
荒木伸二監督
CMやMVも同じような機材を使って撮るものですが、映画とそれらは全く異なるものなんだろうなと元々思っていました。で、実際に撮ってみてその通りでした。
あまりにも根本から違うのですが、表面的なことで言いますと、CMではコンテをきるということをよくやりますが、本作では昔からの映画のスタイルである“カット割り”方式でやりました。段取りを見て、1カット目は寄り、2カット目は引き、3、4カット目は切り返しで繰り返します、などというそのやり方がすごく理に適っているなと思ったからです。このやり方だと、カット割りを僕が決めると、四宮さん(撮影)がアングルを切ってくれるので、それに僕が「スゲェ!そう切ったか!そこにカメラを置くっていう発想が俺には無いよ!」ってドキドキできるという興奮がありました。もちろん自分の中でハッキリとアングルのあるものはそれをお願いしますが。ただ、どっちにしろ、そのアングルの前段階である“カット割り”は勿論、監督がやるわけで、これ自体がそんなに簡単ではなくて、撮影中ずっと僕はそれをテンパって、しどろもどろでやってました。カット割りの発表の際にスタッフに「ん?」とか言われるともう泣きそう(笑) 12日間の撮影期間中は、楽しいことと困難に立ち向かうこととが交互にある感じで、自分自身が生まれ変わるくらい新しい体験の連続でした。
■ひとりひとりのキャラクターを一言表現で演出指示した
- 主演の中村倫也さん、石橋静河さんら、キャストの皆さんとのコミュニケーション(演出指示など)は、どのように取り組まれましたか?
荒木伸二監督
役者さんと飲んで仲良くなるというやり方もありますし、プライベートのことを話して仲良くなるというやり方もあると思うんですけど、僕はそれにはあまり惹かれません。演出する側と出演者の間には緊張関係が必要だと思うからです。中村さんとサッカーの話もしたかったし、無駄話もたくさんしたかったんだけども、役づくり以外の会話は、打ち上げまでほとんど話さなかったですね。
役づくりについては、それぞれのキャラクターについて一言で伝えるのがいいかなと思っていて、たとえば全員に共通して言ったことは、「この物語は架空のものじゃなく、現実にあるものとして考えてください」と。
石橋静河さんには「あなたは融通の効かない人です。」、松浦祐也さんには「権力にしがみつく狡(こす)い大人です。」、立花恵理さんには「エロくて綺麗で悪どい女。だけど・・・この“だけど”ってところを俺、頑張って作るから、ここに観る人の気持ちが入ってくるからそれをやろう。」など。
でも、中村倫也さんのキャラクターは主役なので、時事刻々と変わっていくんですよね。元々あったのは「流されやすい人」ですが、物語の進行に応じて変わっていくところは補足説明はしましたが、情報過多になってもダメだなと。中村さんはものすごく勘の良い人なんで、うまく汲み取ってやっていただきました。
■本作の肝となる“音”はどのようにして生まれたか?
- あの“音”はどのようにして生まれましたか?
荒木伸二監督
あ、あの“音”ですね。本作の肝だと思ってるので周辺だけ語らせてください。
多分、あれの僕的な原点は「人造人間キカイダー」(1972/NET)かな。僕は子ども心にとても怖いなって思ってました。
倫也さんは、「『ミッション:インポッシブル3』(2006/J・J・エイブラムス)に出てきたアレみたいな感じですか?」って聞いてきて、僕は見てなくて「わかりません」って返事してしまったんですけど(笑)、倫也さんは倫也さんでイメージするものがあったようです。
そして、音楽の渡邊琢磨さんに相談したところ、“町”のふざけたイメージを表すオリジナルのメロディはどうかということになりました。その時拠り所となったのは、『未知との遭遇』(1977/スティーヴン・スピルバーグ)のメロディ。あれって既存曲じゃないのにみんな覚えているし、作品のキーにもなっていますから。
撮影の時はまだあの音は無くて、キューだけだったんです。なのに中村さんはじめとして役者さんたちは、あそこまでちゃんと演技している。すごいでしょ(笑)
とにかく、あの“音”は、この“町”の異常性を表す肝になっていると思います。
■本編が終わっても観た人に考える時間が続いてほしい
- これもネタバレ注意しながらの質問ですが、ラストシーンに込めた監督の狙いを教えて下さい。
荒木伸二監督
多くの映画がわかりやすい結末になっていますが、僕はもうちょっと乱暴な終わり方の映画が好きだなって思っています。観客に(解釈を)投げてくる映画というか、疑問が残ってもいいんじゃないのって。
本作の本編は2時間弱だけど、それが終わってもああでもないこうでもないと考える時間があってもいいかもしれない。その方がお得だって見方もあるぞと。単純に観客の身体に何かを残したいなという気持ちがあります。
でも無責任にやるつもりはなくて、本編をよく観ていると全部説明できる形にはなっています。
あなたはどう感じましたか?あなたの生きている毎日はどうですか?そこらへんを、ぼんやり考えていただけるととても嬉しいです。
■存在感として“新しい”中村倫也という俳優
- 最後に、荒木監督が思われる、本作での中村倫也さんの見どころを教えてください。
荒木伸二監督
キャスティング当時、中村倫也さんは「ホリデイラブ」や『孤狼の血』など、主演ではない少々特殊な役どころを、貪欲に、多数、生き生きとやられているなって感じでした。ご本人の中で方法論が確立されたのか様々な役を自由自在に演じ分けられていて、わ、すげーな、と新しい役をやられる度に驚く感じでした。
そんな中村倫也さんに(過去にはもちろん主演作はあるのですが)今こそ、主演でドンと真ん中にいてもらったらどうだろうって思ったんです。人生の重みを背負ってみて欲しいなと。映画の後半に向かって、一人の男として完成なのか破滅なのか分かりませんが、大きく変化していくところを演じて見て欲しいなと。そのあたり、是非、味わっていただきたいです。
映画『人数の町』
Introduction
河瀨直美監督を審査員長に迎え、2017年に発表された第1回木下グループ新人監督賞で、241本の中から準グランプリに選ばれた作品。
主演に、今最も勢いのある俳優・中村倫也。そして、令和版「東京ラブストーリー」での赤名リカ役が話題の石橋静河、本作で映画初出演となる「ニッポンノワール-刑事Yの反乱-」の立花恵理、「映像研には手を出すな!」に出演中の山中聡などフレッシュな面々が顔を揃える。
監督・脚本は、松本人志出演の「バイトするならタウンワーク」のCMやMVなどを多数手掛ける荒木伸二が初の長編映画に挑戦する。
本作は、衣食住が保証され、セックスで快楽を貪る毎日を送ることができ、出入りも自由だが、決して離れることはできない、という謎の“町”を舞台に、借金で首の回らなくなった蒼山(中村)が、その“町”の住人となり、そこで出会う人々との交流を経て“町”の謎に迫っていく新感覚のディストピア・ミステリーとなっている。
Story
借金取りに追われ暴行を受けていた蒼山は、黄色いツナギを着たヒゲ面の男に助けられる。
その男は蒼山に「居場所」を用意してやるという。蒼山のことを“デュード”と呼ぶその男に誘われ辿り着いた先は、ある奇妙な「町」だった。
出演:
中村倫也 石橋静河
立花恵理 橋野純平 植村宏司 菅野莉央 松浦祐也 草野イニ 川村紗也 柳英里紗 / 山中聡
脚本・監督:荒木伸二 音楽:渡邊琢磨
製作総指揮:木下直哉 エグゼクティブプロデューサー:武部由実子 プロデューサー:菅野和佳奈・関友彦
音楽プロデューサー:緑川徹 撮影:四宮秀俊 照明:秋山恵二郎 録音:古谷正志 美術:杉本亮 装飾:岩本智弘 衣裳:松本人美 ヘアメイク:相川裕美 制作担当:山田真史 編集:長瀬万里 整音:清野守 音響効果:西村洋一 製作:木下グループ
配給:キノフィルムズ 制作:コギトワークス
(C)2020「人数の町」製作委員会
公式サイト:https://www.ninzunomachi.jp
9月4日(金)新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
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