市川海老蔵「勸玄は團十郎を襲名したかった」。魚河岸と歌舞伎のつながりと豊洲の未来。
2月16日、豊洲市場で毎週土曜日に開催中の「豊洲市場 Oishii 土曜マルシェ」の特別企画イベントが行われ、十一代目市川海老蔵氏をが登壇。歌舞伎と魚河岸のつながりや、十三代目市川團十郎白猿の襲名の気持ち、そして息子勸玄君の新之助襲名の裏話などを語った。
豊洲市場 Oishii 土曜マルシェとは?
「豊洲市場 Oishii 土曜マルシェ」は、東京都が、豊洲市場及びその周辺エリアの賑わいづくりと豊洲ブランドを確立していくため、5街区及び6街区の千客万来施設事業用地を活用し、千客万来施設が稼働するまでの間、賑わい創出事業として行っているもの。
トークセッション『魚河岸と歌舞伎-豊洲市場の未来に寄せて-』
登壇者:(左から)山﨑孝明氏(江東区長)、小池百合子(東京都知事)、十一代目 市川海老蔵、伊藤宏之氏(魚河岸会会長)、伊藤裕康氏(一般社団法人 豊洲市場協会会長)
豊洲市場が開場して4ヶ月。慣れてきたが、もっと活気を。
伊藤宏之氏(魚河岸会会長)
豊洲移転が延期になった時、最初は小池知事をちょっと恨んだんですが(笑)、でもやっと慣れまして、仕事には支障がないようです。
市川海老蔵
でも、慣れてきたといっても、これからはもっと活気を作っていく作業というものが必要だと思います。
豊洲の歴史は始まったばかりですが、これからどんどん活気を作っていってほしいと思います。
勸玄くんは実は團十郎を襲名したかった?
– 2020年に十三代目市川團十郎白猿の襲名のお気持ちは?
市川海老蔵
歌舞伎の世界では、市川團十郎という名跡は非常に重たいということをよく認識した上で、それを私が引き継ぐということは、ほんとに大きなことです。
歌舞伎の家に生まれたからそうするっていう軽いことではありません。
そして、2020年の5月、6月、7月と襲名披露公演ができることも、先祖に感謝ですし、歌舞伎十八番の『助六由縁江戸桜』という演目では魚河岸様にも大変長くお世話になっていまして(「江戸紫の鉢巻」が魚河岸から送られる習慣が200年続いている)、さまざまなところで責任が大きくなりますので、懸命に向き合っていく次第です。
– 勸玄(かんげん)さんも市川新之助の名跡八代目として継がれますね。
市川海老蔵
勸玄は、本当は、團十郎になりたかったらしいです(笑)
新之助になることは非常に不満であるような、なんかグチをこぼしています(笑)
パパが新之助になるから、團十郎になってくれるかなと家では冗談を言っています。
母がいないことは、團十郎襲名と同じくらいの課題
市川海老蔵
歌舞伎役者っていうのは簡単に見えるかもしれませんけど、市川團十郎家に生まれたからといって、市川團十郎になれるとは限らないわけなんですね。
その中で、勸玄がさまざまなことを経験し、多くの方々に認めていただき、そういうことが積み重なって結果、そのようになってくれれば嬉しいですが。
また、苦しい時などいろいろあると思います。そういう時、父親だけなんですけど、それだけでは支えられないものもきっとあるんですよね。
やっぱり私も歌舞伎をやっていて苦しい時は、父に言えないことは母に言えて、母にだからこそ言えることがたくさんあります。
それが勸玄たちには無いので。それをどうやって乗り越えていくかっていうのは、私にとっては團十郎襲名と同じくらい大きな課題だなと思っています。
豊洲市場の未来について
市川海老蔵
我々が、豊洲市場で腰を据えてやると決めた以上は、豊洲を中心に食を楽しめる文化が、ここから100年、200年と続いてくれたらと。我々も始まりの時期に立ち会ったということは非常に価値があることだと思います。
初代團十郎が深川で出開帳の折に舞台をしたという話がありますが、私も微力ながらできることがありましたら、魚河岸様のイベントがありましたら、ここで舞台をさせていただけたら、私としても、いつか、十三代目の團十郎はこんなことをしてたよって言われるような役者になりたいので、どうぞよろしくお願い致します。
[写真・記事:Jun Sakurakoji]
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