【製作発表記者会見】稲垣吾郎&二階堂ふみW主演 手塚治虫の禁断の問題作『ばるぼら』初映画化
『ばるぼら』はデカダニズムと狂気にはさまれた男の物語である。- 手塚治虫
11月20日、「手塚治虫生誕90周年記念会」式典が東京・帝国ホテルで開催され、多くの出版関係者、漫画家、ゆかりのある芸能人が招待されていた。
その最後に、手塚治虫の禁断のアダルト&カルト漫画として世界にコアファンを持つ『ばるぼら』を国際共同製作で初映画化の製作発表記者会見が行われた。
登壇したのは、手塚治虫の実子である手塚眞監督、そして主演の、稲垣吾郎・二階堂ふみ。
「壊れゆく時にしか出せないような色気と尊さを感じられる作品」と語る稲垣吾郎。
世界同時初解禁の予告映像とともに、記者会見のすべてをお届けする。(フォトギャラリー)
手塚治虫の禁断の問題作、初映画化
プレスシートより。
『ばるぼら』は70年代末に手塚治虫が描いた連載漫画で、手塚治虫最大の異色作であり、英語、フランス語でも出版され、世界中にコアなファンを持つカルト・マンガの傑作です。
「ばるぼら」という名前の謎の少女に翻弄される小説家・美倉洋介のエロティックで奇怪な体験を綴ったストーリーは、手塚治虫版『ホフマン物語』とも言うべき、愛と幻想に満ちた大人向けのファンタジーです。
禁断の愛とミステリー、芸術とエロス、スキャンダル、オカルティズムなど、様々なタブーに挑戦した問題作。
その独特な世界感から映像化不可能ともいわれた本作品を、手塚治虫生誕90周年を記念して初映像化いたします。
監督は手塚治虫の実子であり『白痴』(ヴェネチア国際映画祭、デジタルアワード受賞)、『ブラックキス』(東京国際映画祭)など独特の映画美学により国際的に評価される手塚眞。
撮影監督にはウォン・カーウェイ監督作品の映像美で知られるクリストファー・ドイルを招き、世界高水準のクオリティとなるアート・シネマに仕立てます。
稲垣吾郎が異常性欲に悩まされている売れっ子耽美派小説家を、自堕落な性格のフーテン女を二階堂ふみが演じます。
映画『ばるぼら』
監督:手塚眞
原作:手塚治虫
撮影監督:クリストファー・ドイル
音楽:橋本一子
主演:稲垣吾郎、二階堂ふみ
出演:渋川清彦、石橋静河、大谷亮介、渡辺えり、美波、片山萌美、ISSAY
©2019 Barbara Film Committee
2020年 全国公開
海外版予告篇(世界初解禁)
記者会見(全文)
手塚眞監督、主演の稲垣吾郎さん、二階堂ふみさんのすべての発言がとても貴重で、本作の魅力につながると判断し、全文掲載します。
手塚眞監督
父親の漫画原作を実写映画化するのは、これが初めてです。
今までアニメ化はやったことあるんですけど、初めて実写化作品に取り組ませていただきました。
なぜ「ばるぼら」なんだと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私が特別に思い入れのある作品です。
そして今回は稲垣吾郎さん、二階堂ふみさんという素晴らしい俳優の皆さんにご参加いただきました。
とてもスペシャルな映画になっていると思います。
この映画が公開の暁には、どうぞ応援にかけつけていただきたいと思います。
みなさん、よろしくお願いいたします。
稲垣吾郎(美倉洋介 役)
このたび、手塚先生の怪作と言われている「ばるぼら」に出演させていただくことになりました。
この刺激的な作品で、ぼくの演じる美倉洋介という主人公は、愛と欲望に取り憑かれているキャラクターであり、それを監督と、クリストファー・ドイル撮影監督が創り出す耽美的で退廃的な美しい世界観で演出していただくことができました。
みなさんに楽しんでいただける作品になると思います。
二階堂ふみ(ばるぼら 役)
手塚先生の生誕90周年記念会のこのような中で「ばるぼら」実写化のご挨拶をさせていただけて、ほんとに幸せに思います。
原作がすごく力強く不思議な物語だったので、私自身は役のことを考えながら参加させていただきました。
完成したものをみなさんと共有して、また面白い映画になっていけばいいなと思っております。
なぜ今、『ばるぼら』なのか?
– 数多ある手塚作品の中でなぜ『ばるぼら』を選ばれましたか?
手塚眞監督
私は子どものころからイケナイ漫画(大人の漫画)を読んでおりまして、その中で『ばるぼら』は非常に思い入れがある作品だということと、今まで自分が監督として表現してきたことと、父親の作品とのなにか接点を感じられましたので、これは自分がなにかやれる作品だと確信したからです。
– “今”というのは何か関係ありますか?
手塚眞監督
映画というのはいろいろなタイミングで出来上がるんですけど、内容については今あまり触れることはできませんが、観ていただければ、おそらくなぜ今、これを作ったのかがわかるとは思っております。
– 時代設定はどうされてますか?
手塚眞監督
原作は1970年代ですが、映画は現代です。
愛がむき出しになった“稲垣吾郎”
– 手塚治虫作品にはどういう印象をお持ちだったかということと、今回の作品に出演されてみて、新たに認識が変わった部分があれば教えてください。
稲垣吾郎
子供の頃からいろいろ拝見させていただいたり、個人的には昔、舞台で『七色いんこ』を演じさせていただきました。
ずっと身近に感じてきましたし、手塚作品で育ってきたようなものなので今回は光栄なことと思います。
『ばるぼら』という怪作をやらせていただくのは自分の中でも新しい挑戦だと思います。
今のこのタイミングでないとなかなか演じられない役だとも思います。
愛がむき出しになった僕を皆さんに楽しんでいただければと思います。
二階堂ふみ
父が手塚治虫先生の作品が好きで、家には「火の鳥」や「鉄腕アトム」などがあり、私も幼少期の頃拝見していました。
アトムは子どもながらにもワクワクできてポップな作品で、手塚先生もきっとこのような方なんだろうとイメージがあったんですが、「火の鳥」とか「ばるぼら」はちょっとむずかしいというか、なんか宇宙のことを考え出すとちょっと怖くなるような感覚になります。
なので、どっちが本当の手塚先生なのか、どっちもが手塚先生だとは思うんですけど、ちょっと謎のような感覚で、そういうのを知りたいなって思ったので、今回『ばるぼら』の話をいただいて、参加させていただくことになりました。
現場ではスタッフの方と「これは黒い部分の手塚先生だよね」って話をしながら、みんなで考えながら答えを探していくような感覚でした。
手塚治虫作品の中でも異色作
– 手塚治虫先生の生前、この作品については、主人公ばるぼらについてお話されたことはありますか?
手塚眞監督
私は父親と作品の話はあまりしませんでしたし、そもそもそういう時間もなかったんですけど、特に大人向けの漫画に関しては、父親は家族とはあまり話をしませんでしたね。
やっぱりどことなく気恥ずかしさもあったんだと思います。本作にはセクシャルな描写もありますから。
ただ、本人は大人向けの漫画も大事に考えていたと思います。
特に『ばるぼら』は父親の作品の中でも変わったテイストを持っていると僕は考えています。
変わったものっていうのは言ってみれば“鬼っ子”みたいなもので、作者にとっては実はいちばんかわいい作品だったりするんじゃないかと、勝手にそのように想像はしています。
世界の多くの方々に観てほしい
– 本作について、カンヌ映画際など、海外展開はどのように考えておられますか?
手塚眞監督
映画祭を目指すために作っている作品ではないんです。
ただ、私はこれまでの作品もそうなんですけど、できるかぎりいろんな国の方々にも観ていただきたいと思っておりますし、そういうきっかけができるようなことであれば、なんでもチャレンジしていこうと思っています。
確かに今、日本の映画で海外と共同で作っていこうというのはいろんな難しさもあるんですけど、ただ、得られるものもすごく大きいと思いますし、特に今回のような特別な企画で海外と一緒にやれるというのは、とてもいいチャンスだと思いました。
壊れゆく時にしか出せないような色気と尊さ
– 撮影はクリストファー・ドイルさんですが、海外の方と一緒にやられるというのはいかがでしたか?
稲垣吾郎
僕にとっては初めて経験でしたし、ドイルさんの作品はすごい好きだったのでたいへん光栄なことでした。
先ほども言いましたが、手塚眞監督とドイルさんの世界観というのがほんとに美しく耽美的で退廃的でもあって、自分の好みにも合ってましたし、そこで演じていたあの時間というのは夢のような、なんか現実だったのかなって、今思うとなんかフワフワしてたような時間で。
でもそこへ誘ったのはばるぼらを演じた二階堂さんだったのかなと思ったり、今まで経験したことないような出来事でしたね。
ほんとに変わった作品というか、いろんな解釈がある難しい作品ではあるんですが、壊れゆく時にしか出せないような色気というか尊さというか、そういったものも感じてもらえる作品になっていると思います。
二階堂ふみ
私も初めてのことばかりだったので、すごく勉強させていただきました。
そして、映画を好きな方は必ず観たことがあるドイルさんのカメラワークもそうですし、そういうことがすごい刺激的な現場でした。
スタッフも外国の方が多くて、日本語の時もあれば英語の時もあったり、私がわからない言語が出てくることもあったり、言葉で繋がっているのではなくて、アートというのはやはり感覚で共有しているものなんだなと改めて感じる現場でした。すごく楽しかったです。
父親の作品は家族みたいなもの
– 本作は、手塚治虫さん原作で、手塚眞さんが監督ですが、原作のここは大事にして、ここはご自分の世界観で作りたいとか、特徴的なところがありましたら教えてください。
手塚眞監督
できるかぎり原作の物語を守っているつもりではあるんですが、やはり時代性が多少違うというところは現代に直さなければならないですし、原作は連載マンガで長い物語なので、すべてをやろうとすると無理がありますので、その中からエッセンスを抽出してひとつの作品にまとめました。
ですので、原作にある場面もあれば、その逆もあったりはします。
ただ、そこはあまり意識しないようには作りました。
よく皆さんに聞かれた時に私、答えてるんですが、自分にとって父親の作品っていうのは、家族みたいなもので、特にそのことを深く考えなければならないとは感じてないんですね。
自然にやれればいいかと考えています。
もちろん、ご覧になる方によってこれは原作と違うとかいろんな意見はあるかと思いますけど、少なくとも自分は自然にやったつもりです。
– 先ほどイケナイ子どもだったとおっしゃってましたが、子どもの頃に原作漫画を読んだ時に感じた印象というのは反映されているのでしょうか?
手塚眞監督
子どもの頃に感じたものかどうはわかりませんが、自分が思ったとおりのものをやろうとしました。
そして、こう言ったら失礼かもしれませんが、稲垣吾郎さんと二階堂ふみさんのお二人は、ものすごく手塚マンガのようなお二人なんです。
手塚マンガがすごく似合うお二人だったものですから、それもあってさらに自然にやれました。
稲垣吾郎・二階堂ふみ キャスティングの理由
– このお二人をキャスティングされた理由は?
手塚眞監督
二人とも非常に魅力的な俳優で、僕はいつか仕事したいと思っていました。
せっかく仕事するからには、二人に一番合った役をと思っていたんですけど、今回の『ばるぼら』の企画を考えた時に、この二人だったらピッタリだなと思いました。
ただ、お二人とも忙しいので難しいんじゃないかなと思っていたんです。
海外スタッフとの共作というのもありますし。
非常に幸運なことにすべての条件が揃いまして、お二人に出ていただくことができまして、さらにはこちらの期待以上のことをやっていただいたという印象です。
“ばるぼら”を演じる二階堂ふみに会えなくなるのが寂しい
– お二人はお互い、どういう俳優さんという印象をお持ちですか?
稲垣吾郎
二階堂ふみさんとは初めてご一緒させていただきました。
(彼女の)映画はずっと観ていましたし、初めて二階堂さんをスクリーンで観た時は衝撃が走りましたし、いつかご一緒させていただきたいなと思っていた女優さんだったので、今回良い機会だったなと思います。
撮影時はほんとに二階堂さんはばるぼらになりきっていましたが、今日、先ほどお会いしたらビックリするくらい二階堂さんで(笑)
どこもきっとそうだと思いますが、撮影現場では、お芝居の役柄同士という接し方しかしてなかったので。
二階堂さんならではのばるぼらを演じてくださって、漫画原作を読んだ時の印象ともまた違って、なんか存在しているようで存在していないような、ほんとは夢だったのかなと思わせてくれるような。
「なんか、もうばるぼらに逢えなくなっちゃうのかな?」って撮影が終わるとすごく寂しく感じてしまって。
ほんとに夢を見ているような撮影現場でした。
二階堂さんの演技で僕を引っ張ってくれたのですごい感謝しています。
二階堂ふみ
光栄です。
稲垣さんは私が物心ついた時からテレビで拝見させていただいていた方だったのですが、先ほど稲垣さんがおっしゃったように撮影現場でお会いした時はお互い、役と役の関係だったので、私も不思議な感覚でした。
稲垣さんは文学を感じる方というか、初めて難しい本を手に取った時のような感覚。
だから知りたいって思うし、でもまだ自分がそこに追いつけてないというか、自分の未熟さであったりとか、大人になりきれていない部分みたいなものを感じさせられるような感覚。
それは、お芝居させていただいていると、どんどん、どんどんと、自分の中に眠っているばるぼらを起こされる感じになる方です。
稲垣吾郎
光栄です。
二階堂ふみ
ありがとうございました。
“役”は、お互いが響き合った時に初めて生まれる生命
– 今回稲垣さんが演じられた美倉洋介という役は、稲垣さん御本人とは違うキャラクターだと感じますが、身近にイメージが近いかたはいらっしゃいますか?
稲垣吾郎
僕は、参考になる人があんまりいない役が多いというか、今、舞台でやらせてもらっているのもベートーヴェンですし(笑)
自分が創り出すものと世の中から求められているものとのギャップに苦しむ役とか多いんだなと思ったり(笑)
今回の作家の役も、元々耽美派だったのが路線を変えていかなくてはならなかったり、自分の中でクリエイターとして悩んでいる最中にばるぼらと出会ってというストーリーなんですけど。
なかなか参考になる人はいませんが(笑)、自分でイメージしながら作っていくものですし、形があるものではなくて、自然と生まれてくるものだと思います。
二階堂さんもおっしゃってましたが、お互いが響き合った時に初めて生まれる生命みたいなのもので、それは予期できないものですし、役作りとして前もって用意できるものでもないですね。
手塚治虫の漫画とは違う魅力を放つ
– 手塚治虫さんの作品の実写化は初めてということですが、改めて手塚治虫さんという作家をどのように感じられていますか?世界の手塚治虫さんのファンの方へのメッセージとしてお願いします。
手塚眞監督
私の場合、もう56年も手塚治虫の息子をやってますんで、今さら何か変わるということはないんですが(笑)、ただ、ひとつの作品に向かい合った時に、実はひとつの作品なんだけどそこには膨大な情報があるので、もしかしたらこれはひとつの作品じゃないんじゃないかって思うこともありますね。
もちろん、アトムとかブラックジャックのようにたくさんの物語が集まっている作品もありますが、たとえば『ばるぼら』は『ばるぼら』というひとつの作品のようであって、でも実際はたくさんのエピソードが集まっていて、それぞれがひとつの漫画作品になっていてもおかしくないくらいの情報を持っているし、表面的なところもあれば、実はかなり深く読めるところもある漫画であります。
ですので、自分は今、どの部分を見ているんだろうと常に考えますね。
もしかしたら自分が見ていない部分があるかもしれない。でも、全部掘り出しちゃうと情報が多すぎると思いますね。
むしろこのように映画にするためには、整理していかなくてはならないこともありますので、何を見つけて、何を見ないふりをするかというような思いで作りました。
ただ、もちろん稲垣さんや二階堂さんのように、実際の俳優さんが生で演じられることによって、また違う情報というか魅力が加わってくるんです。
何も引き算ばっかりで映画を作っているわけではなくて、むしろ現場ではすべて足し算になっていくわけです。
クリストファー・ドイルさんのカメラもまた、手塚治虫の漫画とは違う魅力を放ってくれていますから、そいうものが合わさった時に、逆に手塚作品がどういうふうに変わっていく、見えてくるんだろうかという興味はすごくあって今回やらせていただきました。
観る者を夢の世界へ連れて行く作品
– 最後にメッセージをお願いします。
手塚眞監督
もうすぐ完成いたします。
稲垣さんや二階堂さんが言うとおり、かなり深い内容でもございますし、決して口当たりの良い作品ではないかもしれません。
最初は、この味はなんだろう?と、不思議な味だと思うかもしれませんが、よく味わってみれば、必ず新しい味が開けていって、皆さんを夢の世界に連れて行くことができると思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。
フォトギャラリー
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ストーリー(プロット)
『都会が何千万という人間を飲み込んで消化し・・・たれ流した排泄物のような女・・・それが、ばるぼらだった』
人気小説家の美倉洋介は、新宿駅の片隅でホームレスのような酔っ払った少女ばるぼらに出会い、つい家に連れて帰る。
大酒飲みでだらしないばるぼらだが、美倉はなぜか奇妙な魅力を感じて追い出すことができなかった。
彼女を手元に置いておくと不思議と美倉の手は動きだし、新たな小説を創造する意欲がわき起こるのだ。
ばるぼらは、あたかも芸術家を守るミューズのようだった。
その一方、美倉は洋服屋のマネキン人形や、友人の許婚が飼っている犬が妖艶な美女に見えてきて恋におちてしまう。
ばるぼらはそんな幻想から美倉を救い出す。魔法にかかったように混乱する美倉。
美倉の編集者であり彼を密かに慕う甲斐加奈子は、そんな美倉を親身になって心配する。
ばるぼらを不審に思い調べてゆくと、悪魔崇拝の教団の存在が背後に浮かび上がる。
加奈子はばるぼらに魅かれる美倉を止めようとするが、突然に事故に遭って重傷を負ってしまう。
ついにばるぼらは美倉と結婚したいと言い出し、奇怪な儀式のような結婚式を執り行うことになるが、加奈子から事情をきいた友人の小説家四谷が邪魔をして、式は流れる。
ばるぼらは怒って姿を消し、美倉は取り憑かれたようにその後を追ってゆく。
いつしか美倉は、ばるぼらなくては生きていけないようになっていた。
別人になりすましたようなばるぼらを発見し、口論の末、美倉は衝動的に彼女の首を絞めてしまう。
しかし、気が付くとばるぼらの姿はまた消えている。
ばるぼらは現実の女の子なのか、美倉の幻なのか。
狂気の生み出す迷宮のような世界に美の巨人は堕ちてゆく。
ばるぼらは美倉を殺そうとして、反対に自分が瀕死の状態になる。
美倉はそんなばるぼらを連れて山奥の山荘に逃げ込み、そこに閉じ込められる。
いったい何の呪いなのだろうか。
死んだように動かないばるぼらの肉体を見つめながら、美倉は全身全霊をこめて小説を書き上げるのだった。
その題名は『ばるぼら』・・・。
[写真:Ichigen Kaneda/記事:Jun Sakurakoji]
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