特集記事:知覚心理学と「この世界の片隅に」の関係
2017年5月6日、第40回日本アカデミー賞など、数多くの映画賞を受賞した映画作品「この世界の片隅に」の片渕須直(かたぶちすなお)監督による一般客も聴講可能な特別講義が、「映像・音楽の総合表現と人間」というテーマで埼玉工業大学にて行われました。
そもそもなぜ、アニメーション映画監督が大学で講義するのでしょうか?
それは、アニメファンもそうでない人も、ふだん、アニメーション映画を目にすることが少なくないのに、実は気づいていないとっても面白いヒミツがそこには隠されているからなのです。
そのあたりのタネ明かしを、今回の特別講義を主催された埼玉工業大学の曾我(そが)教授に伺いましたのでご紹介致します。
あわせて、片渕監督の講義の内容もお知らせします。
「知覚心理学」とアニメーションの深く長い関係
今回の特別講義は、「知覚心理学」の観点から「アニメーション」を語る、というものです。難しそうですが、とても面白いことがそこには隠されています。
そもそも、「知覚心理学(ちかくしんりがく)」とは人間の知覚(視覚・聴覚など)のあり方を研究する心理学の一分野。
およそ100年前の1910年当時、心理学者ヴェルトハイマーは、「おどろき盤(フェナキストスコープ)」というアニメーションの原型のようなおもちゃを見て、実際には動いていないのに動いているように見える(=知覚してしまう)心理作用(心理学用語で仮現運動と表現)に注目し、そこから、知覚心理学とアニメーションの深く長い関係が始まっていったのです。
埼玉工業大学での特別講義のきっかけ
日本大学芸術学部映画学科で講師もされている片渕監督は、アニメーションの「動き」や「空間表現」について、一定の理論・原則に基づくものを追求されていました。そういった中、日本アニメーション学会の知覚心理学のシンポジウムなどに参加されるようになり、そこで埼玉工業大学曾我教授との出会いがありました。
片渕監督は、知覚心理学学者の方々に、実制作現場での様々な実例を提供することで、そこからアニメーションの表現方法について、論理的な原則・ルールの発見に繋がればと期待され、曾我教授とタッグを組むことになり、4年前から数回に分けて開催されている特別講義の実現の運びとなりました。
ただし、片渕監督は、「日大講師の立場として学生たちに教える時の下地としては、そういったルールをわかっていたいとは思いますが、アニメーション実制作の現場は、ルールに縛られるものでもないという立場は明確にしておきたいし、ルールに従うだけで作品が作れるという甘いものではないです。」ということも今回の講義の最後で強く念押されていました。
そして、知覚心理学専門である曾我教授は、「アニメが好きな人は増えてますが、実は知覚心理学とアニメーションは切っても切れない面白い関係にあることを世の中に広めていきたいんです。」という思いから、継続的に映像業界のスペシャリストを招いての特別講義を一般公開で主催されています。
なお、今回の特別講義は、片渕監督の他、『シン・ゴジラ』でVFXスーパーバイザーを務められた佐藤敦紀(さとうあつき)氏、イラストレーターの開田裕治(かいだゆうじ)氏も招聘されています。
片渕監督特別講義
日時:2017年5月6日13:20~16:45
場所:埼玉工業大学30号館(人間社会学棟) 1階3011教室(300名)
テーマ:「映像・音楽の総合表現と人間」
今回の講義は「空間表現」がメインテーマ。
すなわち、映画作品を観る観客が、作品世界の地理的な空間に馴染みやすくするにはどうしたらいいか?ということを説明されました。
その題材として、過去監督された「名犬ラッシー」「ブラック・ラグーン」「マイマイ新子と千年の魔法」「この世界の片隅に」を取り上げて、それぞれ具体的な例を取り上げながら説明されました。
放送開始1ヶ月半前に着手して情報がほとんどない「名犬ラッシー」と、
原作に“場所”の具体的な情報がない「ブラック・ラグーン」の共通点とは?
この両者に共通することは、物語の舞台の地形の情報がほとんど無いこと。
片渕監督は、これだと視聴者が物語に入り込みにくいと考え、まずは、舞台となる街の設定をきっちりと固め、それらを視聴者にしつこいくらいに印象づけるような映像構成にし、視聴者がいつのまにか「知ってる街だ」と知覚するように仕向けたということでした。
実際、「ブラック・ラグーン」については、アニメ独自の細かな空間表現(地理設定)が、のちに原作コミックにフィードバックされる現象も起きたそうです。
一方、「この世界の片隅に」は舞台・時期が明確で、こうの史代さんの原作コミックでも細かに描写されています。
片渕監督は、基本、原作に忠実なアニメーション表現を心がけたそうですが、「コミックとアニメの違い」から、アニメ独自の「空間表現」に変えたところもあるということを、演劇用語の「上手(かみて)・下手(しもて)」という表現を使っての説明をされました。
基本は、上手(=出発地点)・下手(=目的地方向)になりますが、コミックの場合は、読者に読ませたいセリフの吹き出しの位置関係が優先になるので、コマによって上手・下手が入れ替わることがありえます。
一方、アニメーション(映像)の場合は、観客の空間認識を優先して、上手・下手は統一させることを優先するそうです。そうすることで、登場人物がどっちに向かっていこうとしているのかをわかりやすくするという効果(=知覚)があるとのこと。
また、上手・下手以外に、「登り・下り」の表現も観客に物語世界の空間認識をわかりやすくするために重要ということです。
「この世界の片隅に」では、『三ツ蔵』が幾度も登場します。すずさんや径子さんがその前を歩きますが、左(下手)から右(上手)に下って行く時は、呉市街に出かけるのだということを、観客は知らず知らずのうちに理解できていますが、それも片渕監督の空間表現の計算から成立しているのです。
聴講者からの質問コーナー
「この世界の片隅に」で登場する“朝日遊郭”の空間表現についての質問について。
片渕監督はそれに回答するために、ご自身のPCに格納されている様々な調査結果の画像を披露されました。
監督のPCは数多くのフォルダーで構成され、一目しただけでも、相当緻密な検証をされていたのだなということが伺えます。
そんな中から、該当シーンの原作コミック画像と映画版の画像を表示して比較しながら回答。
更に、昭和20年以前の“朝日遊郭”の市街地図や当時の写真を次から次へと例示され、すずさんがどのように迷って、リンさんにどのように道案内され帰宅していったかを検証した経緯を説明されました。
(映画に登場する寿司屋や派出所も実際の当時の写真の紹介もあり。また、当時の朝日遊郭に実在した、“グレート東京(東京楼本店)”、“神奈川楼”などの説明もありました。)
同様に、「マイマイ新子と千年の魔法」で新子ちゃんの自宅の間取りや周辺についてもどのように確定していったかを、原作者の高樹のぶ子さんの情報や、昭和40年代や30年代の航空写真などを比較例示しながら、解説されました。
途中、「この方がわかりやすい」とおっしゃって、Google Earthを立ち上げられて、それで説明される一幕もありました。
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以上ですが、いかがでしょうか?
学問的に知覚心理学としてアニメーションを追求する側面と、実際のアニメーション制作現場の側面とが融合して、とても素晴らしい相乗効果を産んでいるなということを今回の取材で感じました。
映像作品の楽しみ方はもちろん人それぞれです。難しいことは考えずに直感で楽しみたいって方も少なくないと思いますが、ふと、こういった観点で、制作する側もいろんな工夫をしているんだなってことに思いを馳せることは、作品を観る人自身の感性をきっと豊かなものにするのではないでしょうか?
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